今回は、私の人生の中でたったひとり存在する、気がかりな昔の友達についてのお話です。子ども時代をともに過ごしたあの子、だけど今は消息不明。読者の皆さんの中にも、そんな人はいますか?
不思議なあの子
あの子との出会いは保育所でした。私が乳児の頃から通っていた保育所に、年長の時に入園してきたのがあの子でした。ほとんどの子どもが、私のように乳児から通っており顔なじみだったので、あの子は少し浮いていました。
私の家から数分の場所に引っ越してきた彼女は、小学校も一緒でした。私たちは、同じ小学校、放課後には同じ学童クラブに通っていました。
小学校時代、特に学童クラブという狭い世界で、あの子はカリスマ性を発揮していました。あの子は、本を読むことと秘密が大好きな、不思議な雰囲気を漂わせた女の子でした。
あの子の見た目はミヒャエル・エンデ作の「モモ」に出てくるようなイメージです。さすがにモモとは違って、家はあるので身に付けているものはしっかりしていましたが。モモのように賢く、静かに話すような子でした。
一緒にいると自分が特別になったような気分にさせてくれる子でした。自分の世界を確立しているオーラのある不思議な子どもだったからでしょう。
その中毒性が、多くの同級生を取り巻きにさせました。あの子は学童クラブのボス的な存在になっていきました。逆らうと何をされるかわからない、気に入られなければならない。そう思っている女の子は多くいました。(私は当時、一匹オオカミだったので、その輪にははいれませんでしたが。)
あの子の消息は不明
あの子は小学校を卒業する頃に、母親の再婚により名字が変わり、隣町に引っ越していきました。
当時、携帯も持っていなかったので連絡先を交換することもなく、お別れしてしまいました。あの子の新しい名字が何だったか、私も周囲の友達も誰も覚えていませんでした。現在連絡先を知らなくても、昔の友達の名前をFacebookで検索すると出てくるのに、名前も知らないので検索もできませんでした。この情報化社会の中で昔の友達を見つけ出せないなんて!、と何度も思いました。
あの子に再会する運命
あの子の中に私の記憶はもうないかもしれないけれど、私の中であの子は生き続けるでしょう。いつか偶然会えるかもしれないし、もう一生会えないのかもしれない。
あの子がどんな素敵な大人になったのか、私はずっと気にしています。本が好きで自分の世界を確立していたあの子。何の根拠も無いけれど、勝手に彼女は小説家になっているのではないか、と妄想しています。
因みに大人になってから幼なじみにこの話をしたら、彼女は高校に入る頃にあの子に偶然再会したそうです。私が羨ましがると、彼女は会いたくなかったと話してくれました。当時取り巻きのひとりであった彼女は、あの子といた時間が苦痛な思い出だったそうです。
会いたいと願っている私は会えないのに、会いたくないと思っていた彼女は会えるなんて、運命とはわからないものです。