かつて憧れていた人がいました。その人みたいになりたくて、いつも悩んでいました。
今回は、「憧れ」について考えます。
憧れだったあの子
あの子みたいになりたい
大学時代に、とてつもなく憧れていた人がいました。過去に、そんな風に他人のことを思ったことはありませんでした。
それは恋とは異なり、出来ることならその人になりたい、といった感情です。
あの子は、大学で同じクラスでした。見た目は細くて白くて弱々しい感じ。背は低く、顔は良いとは言い難く、異性としての魅力は感じませんでしたが、人としての魅力が溢れていました。
向上心が強く、勉学だけでなく、趣味の面においても徹底して突き詰めるタイプでした。あの子の趣味は、旅(旅行ではなく”旅”というのが大事らしい)とカメラ。旅行先で撮った写真を、自作のポエムとともにSNSに掲載していました。
怖がりの大学生
当時の私は、周りに誇れる”コレ”といったものがない大学生でした。旅行も大してしたことがなく、一人でどこかに旅行なんて怖くて出来ない、そんな世間知らずの怖がりでした。
大学1年生の夏休みは、親しい友達と遊んだり、家族旅行、バイト等をして過ごしました。
休み明け、クラスでは同級生の何人かの男の子が、一人で遠くに旅行したとか、そんな話がどこからともなく耳に入ってきました。「私にはとてもできない…。すごい。」と、冒険を終えて帰ってきた彼らに少しだけ引け目を感じていました。
あの子との出会い
そんな私があの子のことをはじめて認識したのは、友人を介してでした。友人に話しかけてくる変な子がいる、と思っていたら、その後すぐに、場の流れでその日一緒に下校をすることになってしまいました。
それをきっかけに、あの子と話す頻度が少しずつ増えていきました。そして、あの子の経験してきた旅や趣味のエピソードを聞いて、この人は今まで私の周りにはいなかったすごい人かもしれない、と次第にポジティブな印象に変わっていきました。
どうしたらあの子になれるか、いつも考えていた
知識と経験が豊富なあの子と一緒にいると、学びが多く得られました。あの子がくれる情報量と私のあげられる情報量に大きな差があるように感じ、はたして私と一緒にいることはあの子にとって有益なのだろうか、そんなことをいつも考えていました。
ちなみに、あの子に憧れていたのは私だけではありませんでした。同じクラスに、あの子を崇拝している子がいました。きっとあの子には人を引きつける素質があったのかもしれません。
どうしたらあの子のようになれるのか、私はいつも考えていました。もしもあの子になれる薬があれば飲みたかったし、明日目覚めたら突然あの子になれてたらいいな、と何度も何度も不毛なことを考えていました。
あの子の真似できるところは真似をしました。ただ、全部真似をすることは、私らしくなくて出来ませんでした。私は「私らしさ」を確立することが大事なのかもしれない、そんな考えが頭の片隅に浮かびました。
いつの間にか消えた憧れとその理由
あんなにも、あの子に憧れていたのに、気づいたら憧れは全く消えてしまいました。
理由は、おそらく大きく2つあると推察します。
理由1:私自身が成長した
1つ目は、私自身が成長したから。
何も誇れることがなかった怖がりの世間知らずの大学生だった私はその後、地方での住み込みバイト、学外での自己啓発セミナーへの参加、海外でのフィールドワークやインターン、大学院への進学など多様な経験を通して、沢山の人に出会いました。
自分の頭で色々なことを考えて、行動に移す、というサイクルを繰り返しているうちに、私ならではの経験と知識が身につきました。
ふと気づいた時には、あの子とは異なる点で誇れることが沢山蓄積していました。
理由2:憧れの人を知りすぎた
2つ目は、憧れのあの子のことを知りすぎたことです。
あの子と親しくしているうちに、あの子のプライドの高さ等、少々ネガティブな面を知ることになりました。人は誰しも様々な顔をもっていることは承知しています。あの子もしっかりと人間だったと言うことです。
ただ、憧れの人をずっと憧れの人のポジションに維持させるためは、少し離れたところからみているくらいが丁度いいのでしょう。
しかし、今回の場合を振り返ると、私の中で描いていたあの子という像が幻想だったことを認識するためにも、あの子のことを知ることは必要だったと考えます。
あの子からもらった刺激は、私が自分の殻を破り自由に行動するために必要でした。
あの子がいなければ私は今でも殻に閉じこもって、素敵な出会いや経験を得られず、私にはできないと言い訳して狭い世界で生きていたことでしょう。
「憧れ」の種類-乗り越えるべき「憧れ」の感情
「憧れ」には、「永遠に続くもの」と「途中で消えるもの」があるのだと思います。
「永遠に続くもの」は、良い憧れ方であると考えます。ずっと憧れていたいという思いがあり、楽しむための憧れだからです。昨今話題の推し活はこちらに該当するでしょう。
一方、今回お話ししたエピソードのような「憧れ」は、前述のものとは異なると考えます。こちらは、憧れで終わらせずに、行動につなげていくことで、はじめて意味があるものだと思うのです。生じた感情を乗り越えられないと、それはいつかコンプレックス等ネガティブな感情にもなり得ると考えます。
おわりに
今回は自身のエピソードから「憧れ」という感情について考えてみました。
抱いた感情を放置せず、分析してみるのはどうでしょうか。これは、「憧れ」以外の感情にもいえることかもしれませんね。